2017年4月7日金曜日

アヴェ マリア By まりちゃん

私は、今、子供の断乳をしようとしている。

でも、大変になることが怖かったので(体力があるので一晩中泣き続ける)

天使たちにお願いをした。

そうでなくとも、私は今、毎日徹夜しても終わらない、翻訳とか書類の整理があって、いっぱいいっぱいなのだ。

移行できている部分とそうでない部分。

徹夜しても終わらない作業は、そうでない部分の象徴だ。

これでもたくさんの思い込みを解放し、変化し続けてきたのだが、しんどいことは、ある。


ブログは、息抜きと、正直に書き続けていくことで、私の内側の発見に寄与している。


これから作業始めたら何時になるのかな、などと考えないようにもしている。


不思議と心は落ち着いていて、そして今時間の感覚がほとんどないので、しんどさがほとんどないのは確かだ。

でも、これまでの習慣が、私を疲れさせる。
休まないと、疲れてしまう、という思い込みが、怒りと一緒になって。


この移行できていない部分は、私が自分の本質、スピリチュアリティに向き合うまで続くこともわかっている。

いわゆる「現実的な作業」は、私がそこに向き合わなくてもいいように、作り上げてきたものだから。

そうでなければ、私は変人。適応できない人。

いったい、その思い込みをどれだけの人が思いこんでいるのだろう。

みな、それぞれが社会不適合者かもしれない。

ともかく、私は、自分にすら隠し続けてきたものに、今向き合うときがきてしまった。

それは、私の本質のあり方に関わることで、それに関わることは、自分の人生に真っ向から向き合うということ。



子供の断乳で、天使にお願いしていたのだが、

泣き続ける子供を抱っこしながら、私がしたのは

「アヴェ マリア」 を歌うことだった。

繰り返し繰り返し、一つ一つの音符の響きの広がりを確認するように

歌い続ける。

歌詞は正確に覚えているわけではないから、「アヴェ マリア」をメロディに合わせて繰り返すだけだ。

いつの間にか、私の内側のイライラや怒りは、霧消し、慰められ、内側がやさしく包まれているような感覚に浸っていた。

子供も、深い眠りについていた。


私は、私の心が、本当に求めているものに、気づいていた。

自然とベールがなくなり、素直な心になった。



今、天使やマスターたちが盛んに動いているのは知っている。

私の真実を、私は知っていて、「アヴェ マリア」は、素の私を、生まれたばかりのような繊細な本質を、やさしく包み込んでいてくれたのだ。

私は、知っている。

叡智だけではなくて、救いを。

癒しを。 当たり前に存在して、いいということを。

良き知らせはここに。

ただ、呼ぶだけで、私たちは助けられるということを。


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