私の目覚めの一冊としてあげられるのは、ゲリーボーネルの三部作だ。
あれ?一冊っていったけど、三冊だね。三部作だから。
本屋で、「あ、これだ。」と手に取ったのが、その本。
この本は、不思議な本で、今の自分の立ち位置で、いろいろなレベルの物語が展開される。
文字通りに読んでも少年の空想の物語として読めるだろうし
スピリチュアルな気づきが始まった段階でも、深い気づきをえることができる。
それが深まってくると、書いてある言葉からエネルギーをたどって別の世界への扉があく、、
そういう本だ。
その本を読んでいる最中か、その後か忘れたが、初めて夢にゲリーがでてきた。
「君は一緒にいかないのかい?」と他の生徒といた彼が私にきいてきた。
私は、まだ準備ができておらず、行くことができなかった。
二回目は、部屋にやってきて、
三回目は、夢で図書館のようなところで私が本を読んでいると
「君はいつ目覚めるの?」
と聞いてきた。私は
「ん~。あと少しかな?」と答えた。
四回目か五回目か忘れたが、それは今年。
非常に重要な気づきを与えられた問いかけを、彼は私にしてくれた。
朝、深い感謝とともに目がさめて、彼に出会ったことに、深い喜びを感じていた。
現実の世界では、2回、セッションを受けたことがある。
私がある時期、チベットでの転生について、深くそしてリアルに思い出しているとき、それがあまりにもリアルで、それが本当であるか聞きたくて、セッションを受けた。
彼は、私が説明する前に、チベットでの転生で、ある高僧だったことを伝えてくれ、それは私の思い出していた内容と合致するものだった。
2回目のセッションでは、「君は一人でいくのか、みんなといくのか決めなさい」といわれた。
これまではずっと一人でいたのだが、みんなでいく楽しさを、今初めて味わっている。
私は、彼の曖昧なところが一切ないところが好きだ。
彼の真摯さに、私はあらゆる恩恵を受けていて、その生き方を今世で示してくれたことに、心からの感謝をささげたいと思う。
彼ほどの人には、私は今世では師というものをえたことがなく、この先、あるのだろうか、とも思う。
それほど、私は、目覚めの段階で、彼に影響を受けている。
しかし、かといって、やはり私は彼の生徒ではなかった、というのも感じる。
今、私は、私であることを見つけ出すことに、無上の喜びを感じている。
その過程は、やさしいものではなかったが、少しづつ自分自身にくつろぐことができている。
いつか、私が統合のときを迎えるとき、
その姿がどんなものであるか、非常に楽しみなのである。
そして、このブログに真実を綴ることで、私は私の叡智をとりもどす一環となれば、よいと思っている。
私は、私にくつろぐ。
それがいつか完全にそのようにできるようになれば、、、、この世界は蓮と同じ。
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